星野仙一さん(楽天球団副会長)が他界していたことが明らかになりました。70歳でした。

 

「燃える男」「闘将」と呼ばれた星野仙一さんは2017年に野球殿堂入りし、野球への失われない情熱を口にしていたところでした。

 

星野仙一さんの他界理由や、これまでの経歴についてまとめてみました。

 

 

星野仙一さんが天へ、70歳で。病気だった?

星野仙一さんが1月4日に天に召されたことが明らかになりました。

まだ70歳という年齢でした。

星野仙一

 

星野仙一さんにはまだまだ野球界の発展のために活躍していただけると思っていただけに、今回の訃報が残念で悲しくてなりません

 

星野仙一さんが天に召された原因はいったい何だったのでしょうか?

 

現在のところ原因は明らかにはされていませんが「がんで闘病中であった」ということが報道されています。

 

星野仙一さんは2017年に野球殿堂入りし、11月28日には東京で、12月1日には大阪で「野球殿堂入りを祝う会」に出席していました。このときの星野仙一さんは失われない野球への情熱を口にするなどしていて、闘病中の気配は微塵も見せていませんでした。

 

しかし星野仙一さんは昨年末に突如体調が悪化し、年末年始を家族でハワイで過ごす予定を急きょ取りやめていました。

 

12月の「野球殿堂を祝う会」では元気な姿を見せていた星野仙一さんですが、がんであったとすると、昨年末に急激に症状が悪化したのだと考えられます。

 

 

星野仙一の経歴を振り返る

星野仙一さんは1947年1月22日生まれ、岡山県倉敷市の出身です。

 

1969年に中日ドラゴンズに入団、1982年まで投手を務めていました。

相手が強ければ強いほど闘志を燃やす「燃える男」として、特にドラフトで振られた巨人に対しては闘争心をむき出しにしてのピッチングを行っていました。

 

その後は野球解説者を経て1987年に中日ドラゴンズの監督に就任。

 

1988年、1989年に中日ドラゴンズをリーグ優勝へと導きました。

 

2002年には阪神タイガースの監督に就任し、2003年にリーグ優勝へと導きました。

 

2011年には楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任し、2013年にリーグ優勝・日本一へと導きました。

 

「闘将」と呼ばれた星野仙一さん。

 

弱いチームを強くすることが好きと語り、実際に阪神や楽天を優勝へと導きました。

 

2014年にユニフォームを脱いだ星野仙一さんでしたが、2015年には球団副会長に就任し、野球の普及活動に尽力していました。

 

2020年の東京オリンピックを楽しみにしていたという星野仙一さんですが、残念ながら五輪を前に星となってしまいました。

 

星野仙一さんの訃報は本当に残念でなりません。

ご冥福をお祈りします。