11月23日放送の「奇跡体験!アンビリーバボー」は、1968年に北朝鮮の特殊部隊が起こした「青瓦台(せいがだい)襲撃未遂事件」と、生き残った兵士・金新朝(キム・シンジョ)について取り上げます。

 

青瓦台襲撃未遂事件(韓国大統領暗殺未遂事件)はどのような事件だったのか?金新朝は生け捕りにされたあと、どのようにして価値観がひっくり返ったのか?まとめてみました。

 

 

韓国大統領暗殺未遂事件(青瓦台襲撃未遂事件)とは?

1968年1月、韓国に北朝鮮のゲリラ部隊が侵入し、大統領官邸のあった青瓦台を襲撃しようとする事件が発生しました。

 

この事件は「青瓦台襲撃未遂事件」と呼ばれています。

 

青瓦台襲撃未遂事件の目的は、当時の韓国大統領であった朴正煕氏と閣僚の暗殺でした。
(朴正煕:パク・チョンヒ。前韓国大統領・朴槿恵パク・クネ氏の父)

 

彼らは「南朝鮮を開放し、南朝鮮の傀儡政権を処断する」指令がくだされていたのです。

 

しかし北朝鮮の動きは、韓国中央情報部(KCIA)によって察知されていました。

 

当時KCIAで北朝鮮を分析していた康仁徳(カン・インドク)課長は、北朝鮮が1965年ごろから軍事境界線などから頻繁に侵入事件を起こしていたことから「北はベトナム戦争のようなゲリラ戦をやるつもりだ」と直感していました。

 

そうとは知らず、南北軍事境界線を突破した北朝鮮のゲリラ部隊の31人。

 

このとき、偵察に出た2人が韓国の民間人に見つかります。

 

こういう場合、北朝鮮のスパイの鉄則では「すぐに殺して地面に埋める」ことになっていましたが、彼らは「凍りついた地面に大きな穴を掘るのが面倒くさかった」という理由でそれをせず、民間人に「通報すれば一族もろとも消す」と脅して口止めした上で解放しました。

 

しかしこの韓国民間人は、解放されたあとすぐに警察に通報しました。

 

自分たちの行動が不安になった北朝鮮のゲリラ部隊は、無線機を使って北朝鮮にいる上官に指示を仰ぎました。しかし若い女性兵士の声で伝えられる数字の暗号文を誰も解読することができず、結局南へ全力疾走で進み続けました。

(後で韓国の捜査機関が解読したところ、そのときの上官からの指示は「原隊復帰」、すなわち北朝鮮へ帰ってこいという内容でした)

 

1968年1月20日、北朝鮮のゲリラ部隊はソウル市近郊の北漢山に到着しました。予定では、翌日の夜には青瓦台を襲撃することになっていました。

 

ところが道に迷ってしまった彼らは青瓦台にたどり着くことができず、逆に韓国市民の通報を受けて警戒中だった鍾路警察署長に見つかってしまいました。

 

鍾路警察署長から身分証の提示を要求され、ゲリラ部隊は「私たちは防諜隊員で、これから隊に戻るところであり、あいにく身分証は携帯していない」と説明してその場を切り抜けようとしました。

 

しかし鍾路警察署長が「鍾路警察署長を知らない防諜隊員がどこにいる!?」としつこく食い下がってきたため、ゲリラ部隊は警察署長を射殺して全力疾走で逃げました。

 

この後、韓国軍と警察部隊の2週間に渡る掃討作戦により1名が逮捕・29名が射殺され、1名が北朝鮮へ逃げ帰りました。

 

このとき逮捕されたのが、金新朝(キム・シンジョ)でした。

 

韓国軍に捕らえられた金新朝の価値観をひっくり返したのは?

北朝鮮の工作員・金新朝(キム・シンジョ)がゲリラ作戦に失敗して韓国軍に捕らえられたのは27歳のときでした。

 

北朝鮮のスパイは絶体絶命の瞬間には自殺をせよと教え込まれていました。

 

金新朝は韓国軍兵士に見つかった瞬間、手榴弾を手に取りますが「妻や子どもたちにもう一度会いたい」という気持ちが猛烈に沸き上がってきたため、投降して生き延びる道を選びました。

 

このときの手榴弾は不良品であったため起爆しないことが後になって分かりました。

金新朝は、決して自殺できない運命にあったのです。

 

金新朝の取り調べにあたったのは、KCIAの康仁徳課長でした。

 

ゲリラ部隊は「朴正煕を暗殺すれば、ソウルの市民が助けてくれる」と教えられていたため、作戦後に帰還する方法を知りませんでした。

 

金新朝は絶望し、捕虜になったことを後悔していました。

康課長が「真実を話せば、韓国民として受け入れる」と話しても信じませんでした。

 

あるとき、康課長が「話さないなら、外で一杯やろう」と言って、金新朝をソウル市中心部のミョンドンに連れ出しました。

金新朝は「どうせ仕組まれているんだろう」と警戒しましたが、康課長は「自分で店を選べ」と話し、居酒屋に入りました。

 

2人でマッコリを飲んでいると、隣のテーブルで中年男性たちが金新朝を話題にしていました。彼らは「武装共匪(=共産主義の匪賊)」という言葉を頻繁に使いました。

 

店を出たとき、金新朝は憤慨していました。

「俺は武装共匪なんかじゃない」

 

金新朝が聞いていた韓国の姿は、“ソウル市民は全員がバラックに住み、飢えに苦しんでいると”いうものでした。

朴正煕を暗殺すれば、ソウル市民が歓迎してくれる。

そう教えられていた金新朝ですが、ソウル市民の本当の姿を知り、自分が騙されていたことを悟りました。

 

以来、金新朝は事件のことを正直に話すようになりました。

 

その後、韓国人になった金新朝はキリスト教に出会います。

イエス・キリストにすがることで、心を落ち着けて生きていくことができたのです。

97年には牧師の資格を取った金新朝。

金新朝が牧師になりたてのころ、KCIAの康課長が礼拝に顔を出しました。

「兄貴のお陰です。ありがとうございます」

金新朝は答えました。

 

また、私生活では新たな妻に恵まれ、一男一女をもうけています。

 

現在では牧師の職に就きながら、穏やかな生活を送っているようです。

 

金新朝は若い頃から北朝鮮の教えを受けていて、それが「絶対正しい」と思っていたはずです。

なので、その教えが「間違ってる」と知ったときの絶望感・喪失感はとても大きかったと思います。

 

しかし絶望の淵から這い上がって、新たな人生を歩んでいることは、良かったと思います。

 

私は金新朝の人生を知り、人はいくつになってもきっかけさえあればまた新たな人生を希望を持って歩むことができることを教えられた気がします。

 

以上、「青瓦台襲撃未遂事件」「金新朝」についてでした。