11月29日放送の「戦後重大事件の新事実2017」で、JR福知山線脱線事故について取り上げられます。

 

乗客と運転士107名が死亡、562人が負傷したこの事故は鉄道事故史上まれに見る大惨事となりました。

 

福知山線脱線事故がどんな事故だったのか、運転士はいったいどんな人物だったのか、まとめてみました。

 

 

JR福知山線脱線事故とは?

JR福知山線脱線事故とは、2005年4月25日にJR西日本の福知山線(JR宝塚線)の塚口-尼崎間で発生した列車脱線事故です。

 

運転士の速度超過により列車が右カーブを曲がりきれず、列車が脱線し、線路脇のマンションに激突してしまいました。

福知山線脱線事故

 

この事故により乗客と運転士合わせて107名が死亡、562名が負傷しました。

 

これはJR発足後の列車事故による死傷者数としては史上最悪の数字です。

 

事故の原因は、運転士がカーブで減速しなかったことによる速度オーバーです。

 

本来は時速70kmで走行すべき事故現場のカーブを時速116kmの速度超過で進入したため、カーブを曲がりきれずに事故を起こしてしまいました。

 

JR福知山線脱線事故の運転士・高見隆二郎について

JR福知山線脱線事故で列車を運転していたのは、高見隆二郎運転士(23)です。

 

高見運転士は先頭車両からブレーキレバーを握りしめたまま遺体で発見されました。

 

高見運転士は4人兄弟の3番目で、高校時代にアルバイト先で知り合った彼女とは結婚を前提に交際していました。

 

学生時代は「超がつくほどマジメ」だったという高見運転士。

 

所属していたバスケ部ではレギュラーではなかったにも関わらず、1,2年の夏休みの練習を1度も休まなかったといいます。

 

また「高見さんは気は弱かった。頭はよかったけど、ちょっとボ~っとしているところがあって、ヘマすることもあった」という証言もあります。

 

2000年4月にJR西日本に入社した高見運転士。

 

入社後、最初の駅勤務時代に3分間の遅刻をしています。

 

時間に大変厳しい世界である鉄道マンにとって、遅刻だけは絶対にやってはいけないことであり、高見運転士にはこの遅刻が汚点となってしまいました。

 

その後、車掌時代に

・各駅停車の停車駅を通過したことで訓告を1回

・乗務中に立ったまま居眠りをしたことで厳重注意を1回

受けています。

 

そして運転士になってから

・駅で所定位置を100m(車両5両分)行き過ぎたことで訓告

を受けています。

 

これは脱線事故のおよそ1年前の出来事でした。

 

しかもこのミスを犯したとき、高見運転士は「半笑いで京橋車両区に帰ってきて、すぐには指導のところに謝りに行かなかったので、上司の逆鱗に触れて酷く怒られた」そうです。

 

高見運転士はこのミスで13日間の「日勤教育」という懲罰を受けます。

 

日勤教育とはレポートや反省文を書かせたり、社訓みたいなものを丸写ししたりなど、一日中文章を書いていなければならない厳しい研修でした。

 

反省を促すことはもちろん大切ですが、この「日勤教育」は本来の目的を逸脱するほど多くのレポートを書かせるものであり、事故調査委員会からも「ほとんどが精神論的なものである」として批判されています。

 

しかもこの日勤教育は、点呼を受ける運転士から見えるところで行われ、事故の内容を各運転士に読み上げさせるという、晒し者となるようなものでした。

 

高見運転士は

「一日中文章を書いていなければならず、トイレにいくのも上の人に断らなければならないので嫌だ」

と、当時交際していた彼女に愚痴を漏らし、落ち込んでいたといいます。

 

JR福知山線脱線事故当日、何があったのか

事故当日、高見運転士の運転する列車は直前の停車駅である伊丹駅で所定の停車位置を超過するオーバーランを起こしていました。

 

またこの列車は始発の宝塚駅やその次の停車駅である川西池田駅に入線する際にもそれぞれ停止位置を間違えるなど、不自然な運転を繰り返していたことも判明しています。

 

これにより列車に遅れが生じていたため、高見運転士が遅れを取り戻そうとスピード超過で事故現場のカーブに進入し、脱線転覆したと見られています。

 

高見運転士は列車の安全よりも、自身が「日勤教育」を受けることへの恐れの方が勝ってしまったものと思われます。

 

まだ23歳と若かった高見運転士。

 

現場での判断ミスが積み重なって、このような大惨事を引き起こしてしまったのは大変に残念なことです。

 

こういったことが2度と起こらないよう、鉄道会社にはしっかりとしてもらいたいと思います。